ーガンガラーの谷ライブの感想は?

念願のガンガラーの谷でライブが出来てうれしいです。去年の秋に沖縄の仲間と、ここなら大丈夫であろうと過去のデータを全部さらって、台風の最終日を超えたところにセッティングしたのに、まさか台風で中止になるなんて思いもしなかった。

延期になって今回の日程は梅雨なので雨が心配だったけど「晴れ男!」ですから。ファンからは雨男って言われているけど、晴れ男だと自分では思っているので。天気に恵まれて、いい環境でライブができてうれしかった。

森友嵐士 インタビュー写真
ー「Stonehenge」ツアーの意図は?

T-BOLANが復活してから、森友嵐士ソロとはなんだろうとクエスチョンが生まれた。

T-BOLANがあるのにバンドで同じようなことをやっているのは喧嘩してしまうし、俺もどっちがどうなのかわかんなくなるし。ソロのスタートもT-BOLANをやらない状況でのスタートだったので、中身としてはそんな変わらないというか。演奏も違うし、周りの人間関係もまったく違うんだけど、自分で曲も詩も書いて、アレンジもやってるから、音楽の作る過程は似てるじゃん。

だけど上野のことがあって、ここからT-BOLANを活動再開ってなったときに、それはうれしいことだし、90年代の全国のファンに会いにいく旅も考えているし、そうしたときにソロいらねえじゃんって。だけどソロとして始めてきたことの中に、俺を育ててくれる環境、俺の中に眠っている何かを呼び起こす時間が俺にはすごく必要だってわかって。もちろんそれはT-BOLANの中でもあるとは思うけど、やっぱ引っ張っていってくれて、俺がいっぱいいっぱいで付いていかないと追いつけないような、ミュージシャン同士の音での戦い合いみたいなものがほしくて。なぜかというと自分の歌に全然満足していないし、もっともっと自分自身も歌い切ったときに今いい歌が歌えた!って感動したいし、ファンの皆にもそれを聞かせたいから。

そのためにはまだまだいろんな人の力を借りたくて。その最初が「こじやん」で。そうやって始めた出会いをここで終わりにするのは違うかなあと思って。この出会いを1つの形にしたいなって思ったときに自分自身をリスペクトするミュージシャンと譜面通りじゃなくやりたくて。俺がやってる書とお習字は全然意味が違って、お手本があるものに近づけるものと、まったくの白紙のものに落とし込むものなんだよ。お習字ではなくて、毎回毎回お互いに仕掛けあっていて、いつも緊張感すごく感じているし、相手の音をいつも聞いていないとそこに自分がついていけない。その緊張感の中でやれるライブがいいなと思ったわけ。それがStonehengeツアー。

Stonehengeってロンドンにあるんだけど、まだ声が出なくて歌えない時期に旅でフラフラ行ってて。そこでヒッピーたちと仲良くなって夜中に彼らのテントに呼ばれて、みんな楽器をもって遊ぶわけ。そのときの音に触れたときの単純な喜びみたいな、アマチュアバンドで初めてスタジオに入ってガーンとでかい音を出したときの衝撃みたいなものかな。頭じゃなくて身体中が喜びを感じているみたいな、なかなか手にはいらないものが今回のツアーにはあるんだよね。そういうT-BOLANとは違うものや、完成したものを見せるというよりは、毎回毎回新しい俺が生まれる瞬間を届けていくみたいな。そういうような位置づけ。

セッションツアーは繊細なものからステージが大きいものまで常に挑戦していて、例えば同じ曲でも歌い方、アレンジもその場の演奏によって変わっていく。みんなが聞いているレコードにはならないわけ。90年代のT-BOLANはレコードに近づけていく、自分たちの作った形がお手本で、そこがゴールになってライブでどこまで近づけるかみたな。会場ではそこでオーディエンスのパワーが入ってきて、もっとはじけたものになるんだけれど、でもやろうとしてる俺たちの方向性としてはお習字的なんだよね。ゴールが見えているというか。でもStonehengeはゴールの見えない、なにが起こるかわからない、その楽しみを楽しめるステージ、そういうものにしていこうと。まあ変な意味俺のためにやっている、俺の趣味をそこでやっているみたいな感じかな。

ーツアー前の小島良喜(p)と牧山純子(vin)のイメージは?

こじやんは10代の後半くらいから知っていたし、憧れていてT-BOLANが売れてきてレコーディングでもわがまま言ってもいいんだなってなったときに1番最初に呼んだのがこじやん。俺の中でははみ出す人、ロックで激しくてどちらかというとフォルテッシモな感じ。今回再会してやりはじめて、こじやんのすごさは実はピアニッシモ。それはびっくりした。あ、こっちなんだって。こじやんって強いものでコード感もはみ出していて音楽的にその音いれていいの?みたいなとこにいっちゃうんだけど、それがかっこよくて。

けどこじやんのピアノソロを聞いたときに艶があって。それをこじやんにきいてみたら、俺こっちもあるんだよねって言ってて。まぁすごく幅が広くて、どっちがすごいのかというと繊細なほう。あの緊張感で続けられるピアニッシモは並大抵のものじゃない。俺はもうそこに魅了されているね。

ーやる前とやったあとイメージは変わった?
このインタビューをMOVIEで見る【会員限定】
どんどん好きになった。
ー純子ちゃんは?

純子ちゃんも。やっぱそれぞれが自分のものをもっているんだけど、相手の音をききながら変化していく。俺も変化させられているし。どんどんやればやるほど、お互いの変化率とか遊べる自由度も広がっていくから、リハーサルも楽しいわけ、リハーサルと本番が変わらないわけ、このStonehengeツアーは大先輩で憧れのこじやんとやって、もらえるものがすごく多かった。

音的なものもそうだし、ミュージシャンとしての幅の大きさみたいなものも。よくわがままにみえることもあったりするじゃない。こうじゃなきゃいやだとか。でもそのこだわりの裏側はいい音を届けたいということであって。俺はずっと付き合ってるから、こじやんの言っている意味はよくわかるんだけど、初めて会った人は難しい人だなあとか、わがままいう人なんだなあって思うかもしれない。でもそんなのお構いなしに、「嵐士さあ、俺たちミュージシャンは最高の音を届けないといけない」って。

セッションをやっていても、最初純子ちゃん呼んだときはたくさん弾ける場面を作ってあげなきゃと思っていたけど、それがピアノの間を消してしまったことがあって、どうしたらいいんだろうと一人で抱えてしまって。そしたらあるとき、こじやんが全然関係ない話で電話をくれて。その話の中で、こじやんに、「俺はこじやんのピアノの間の感じがすごい好き。一本の糸がポーンと始まって、ずっと繋がって音が繋がっていく。その緊張感に俺の気持ちが引っ張られていって、歌の始まりにすごい力がもらえる。激しいものではなく繊細なものにすごい緊張感があって、そこに違う音が入ってくると壊れてしまう。それがもちろんいい曲もあるんだけど。それがないほうがいい曲もあって。

でもせっかく来てくれてるのに、そこはいらないっていうのなんか失礼かなと思って。」って話をしたら、「それは違うぜ。そこでもし喧嘩になったとしても、嵐士が一番歌いたいっていう音しか欲しくない。それが俺たちのいうセッションなんだよ。だから言わなきゃだめだ。ぶつかったあとに一番いいスタイルがそこに生まれる。それをどんどん繰り返していくうちにほんとの信頼関係が生まれるんだから、遠慮しちゃだめだと。」

ーファンの皆さんにはどう感じてほしいですか?

音楽って基本的にはみんなCDがあってその音を聞いていて。T-BOLAN時代は同じ音にしようよ、ソロも同じフレーズにしようよって言っていて。それも一つの喜びだし、思い出の中に刻まれるじゃん、フレーズも残ってるし。それを期待して待っていてくれるのもわかるんだけど、ミュージシャンの音楽の楽しみ方ってこんな遊び方もあるんだぜって。これって音の幅で。

だから音楽ってもっともっと幅が広くて、こんな風に楽しめるんだよって伝えたくて。それって音楽じゃなく、聴いてくれているみんなの日常の中にもたくさんあって、こうだって決まっていることがあるけどそれをぶち壊せばいいよ。もっと楽しくもっとつながれる方法がたくさんある。そんな深く音を通して見つけてほしいなんて思ってないけど、でもそういうことのきっかけになればいいかなと。でも1番は俺が楽しい(笑)自分が楽しまないと聞いてる側も楽しくないってよく言うけど、同じ音楽を同じ伴奏で100回も200回もやってみ?同じ人間なんだからそんな新鮮にはなれない。

でもそれを俺たちは自分がどこまでピュアになれるかというのが大事で、そのモチベーションを作るためには努力するじゃん、だけどリハーサルやってたらどうしても飽きちゃうよね。俺なんかはリハーサルもやらない。本番一発みたいなのが好きなのよ。タイプもあると思うけど、好きだってことが1番いい歌につながるんだよね。

自分が一番フレッシュに気持ちよく歌える環境を自分がつくったときに、やっぱ来てくれたファンにも1番いい、1番心にふれる歌が届けられることにつながるからさ、まぁわがままっちゃわがままなんだけど、わがままの先に生まれる歌のほうが絶対来てくれた人の心に届くと思う。それと彼らのもっている思い出の中のメロディーだったり音楽だったりとはちょっと種類の違う、だからT-BOLANはこうだよ、でもソロではこうだよって違いを1個作った。自分の中で棲み分けをして意味合いを今は持たせたいなって。

ーツアーメンバーでの新曲計画はありますか?
このインタビューをMOVIEで見る【会員限定】

やりたくなるだろうね。今は楽曲を作ることよりも音で遊ぶほうが大事だから、作る時間があるんだったらカバー曲でおもしろい曲を。自分が作ったものよりも、人が作ったもののほうが俺にとっては挑戦じゃん。自分が作る曲に飽きてるとは言わないけど俺が気持ち良いと思っている旋律ってあるじゃん。

それが今回意外だったのが「愛の賛歌」を歌ったときにどんな感じになるのかまったく想像ができなかったんだけど、こじやんの提案でやってみたら、3人がとても遊べるわけ。間を作ったり、しかけあったり。あの歌中にライブだと間の作り方によっては笑いにも変わるわけ。ここで笑いをとってもいいのか?って場面で笑ってもこのメンツだと成立しちゃうとこがあるんだよね。それがなんか喜びになる。あれは不思議だよね。T-BOLANでは絶対にありえない。

T-BOLANはバラードで感動するものは感動のほうにしかよせないし。そこに笑いの要素は一滴も入れたくないと思うし。だけどこのメンツだと、こじやんはすごく繊細なフレーズをうるさい顔をして弾いたり、そういうのも音楽との付き合いかたで、無言のメッセージで音ってこういう付き合い方もあるよってことを教えてもらった気がする。俺もライブ中にちょっとした隙間にニヤッとしたりうれしくなったりする。

前だったら隠してたと思うんだよ。今はバラードだったらすっとその鎧さえも全部はずれちゃって、もっと自由でいいやって。そういうのが俺の中ではすごく新鮮だし新しいし今までやってきた音楽人生の中ではなかったドアが開いているような感じがする。

ーツアー環境はどうでしたか?

場所によるんだよ。例えばそれがジャズバーだったり音楽を聞かせるために作った場所で音がちゃんと作れていないのはNGじゃん。今回は自然を借りてるんだよね。音楽やるところじゃないんだよ。音楽をやるところじゃないところに行って、俺たちは音楽をやらせてもらっている。その中でできる限りの音響を作れればその中で俺たちは楽しむ。難しいよ。

自分が思っていた音の響きが全然違っていたし、モニターの状況なんかも難しかったし、でもそれを超える場所のエネルギー。全部こだわり始めたらキリがないし、だったらここでやるなよって話になってくるわけ。そんなことは百戦錬磨でわかってるし、それを超えていって、その場所でそれぞれが音を奏でられる。俺も歌が歌える。その喜びが勝ってるから、音はできる限りだよね。

ーライブタイトル「魂響」について
魂響たんきょう(たんきょう)は魂の響きだよね。喜びなんだよ。これはセッションツアーも同じなんだけど、音楽を本当に楽しむ。それは音楽を演奏していくということではなくて、メンバーが感じてるエネルギーをお互い感じ合って、それを共鳴させて響き合わせて届けるっていう。それが魂を響かせようっていう「魂響」
ー自然と音楽の融合について

比叡山って 依心えしん(えしん)より 依所えしょ(えしょ)って言うんだけど。例えば自分の心の中の状態みたいなものが、イラつくときにもっと静かにさせようとか、悲しいときに楽しくさせようとするコントロールって難しいじゃん。自分の心ってどうしようもできないでしょ。自分自身をこうしたいと思ってもなかなかできるもんじゃないから。それを比叡山で最澄が恵みの高い場所に自分の身体をもっていくことで、自分が心を動かすんじゃなくてその場所のエネルギーが心を動かしてくれる。そういう場所のことを依所っていう。

最澄は比延の山がそういうところだと言ってそこに比叡山延暦寺を作った。俺はそういう場所ってたくさんあると思うわけ。自分にとっての依所。俺にとって比叡山はその一つだし、今回やったガンガラーの谷も比叡山と違ってまた依所である。だから場所がくれるエネルギーって大きくて、俺たちがガンガラーの谷に入ることで、ガンガラーの谷にいる俺の魂になるわけ。

それをじゃあスタートは横浜のモーションブルーでやりました。じゃあモーションブルーの魂と同じなのかと言われたら全然違う。それは来てくれたみんなもそうだよ。日常の中で東京のライブハウスに行くのは簡単じゃん。沖縄に来てガンガラーの谷に行くのは遠いじゃん。だけどその距離を動いただけのものがそこにあるんだよね。

どこかに出かける旅っていうのは、自分の中に眠っている何かを呼び起こすことにもなるし。新しいハプニングだったり出会いがあったり発見がある。それは何か外側にあるものを見つけるんじゃなくて、外側にあるものに触発されて自分の中にあるものに気づく。それが今回のStonehengeツアーのガンガラーの谷ライブ。

今回始めた中の1番のライブハウスとの違いだよね。その場所でしか味わえない俺たちの感覚があって、だから生まれてしまう音や歌や演奏があるわけ。来る人達もそこに来ている段階で日常と違うから、その中で受けとるもの、届けられるもの、全部が変わる。

ーガンガラーの谷に最初に行ったとき、何に惹かれましたか?

やっぱり入った瞬間だよ。あそこの道を下って鍾乳洞に入った瞬間に、なにここって思った。ほんと瞬間だよね。言葉にすると安っぽいけど、好き、ここすげえ、いいなって。比叡山も一緒だよ。入った瞬間やべえなにここって。

でもエネルギーは全然違うよ。違うけど同じように何これっていう。自分が知ってる感覚ってあるじゃん。その枠を完璧突き抜けていってうわここすげえって。で、次に思うのが大事なやつを連れていきたいし、大事なやつらにこんなところあるんだぜって教えてやりたいし、それがファンクラブツアーでみんなを呼びたかった理由だよね。

ーこれは続いていくの?

続けていきますよ。俺がまあ続けていきたいだけで、日本中のそういう場所にもっともっと俺自身も出会いたいし、すげえやべえと思ったところがあっても、やりたいだけですぐできるわけでもないじゃん。いろんな準備が必要で普通のホールやライブハウスでやるのと違うから。できる限り、無理じゃんっていうのをやりたい。

ーとりあえず来年もやる?
このインタビューをMOVIEで見る【会員限定】

やるやる。進化しようとしなくても進化するよ。そういうものじゃん人って。自分のことってよくわかんないと思うけど、俺もわかってないけど、今やっていることがちょっと先の未来に絶対種のようなエネルギーで、それが血となり肉となり自分を育てていく。育ってる自分は変化している自分には気づけないよ。人がずっと成長している過程と一緒だよね。周りの人の方が気づくと思うよ。

それもずっと会ってる人じゃなくて、ぽつんぽつんとしか会わない人のほうがなんか変わったねとか、こんなエネルギーだったけみたいな。それは変わろうとしていることじゃなくて、きっともっとこうしたいとか、音に対してもっともっと喜べば喜ぶほど、もっともっとわがままになればなるほど変わっていくと思う。そうであるべきであると今俺は思うね。

ー沖縄ライブのきっかけは?

1番最初は沖縄に強烈にT-BOLANが好きな人がいて一回遊びにこない?と亀田興毅から聞いて、興毅がタイミング会ったら一緒に行きましょうよみたいな感じで。一緒に沖縄に行って、初めて会ってお話しして、沖縄にもT-BOLANのファンがいっぱいいるんですよって言ってて。よく考えたら沖縄でライブやったことがなくて、振り返ったら「愛のために愛の中で」のプロモーションで1回だけ来て。それもメンバー全員ではなく俺と五味だけでラジオとかメディアだけで話したくらいで音を出したことはなくて。

そしたら「是非ライブやってくださいよ!」というところから最初始まって。飯食いながらみんなで盛り上がった感じだから「是非やりましょう!」ってところで盛り上がったんだけど。普通そこでそんなトントンとはいかないじゃん。

ところが、そのすごいファンだという方が沖縄でもイベントとかを動かせる位置にいる人で、いきなり「1月に海辺でイベントをやるんですけどそこで歌ってもらえませんか?」といきなり来たわけよ。もうこじやんともライブ周ってるころで、こじやん沖縄行く?って聞いたらいくいくって。とりあえずじゃあ沖縄で初めてだしどんな状況かわかんないけどまあ行ってみようかってライブに来たのが1番最初で。

まあそんな状況だから、沖縄に入ってからピアノのあるところでリハーサルしたくて、夜やってるジャズバーをちょっと借りて、昼間にリハーサルをやっていたら、沖縄の人ってめちゃくちゃ近くてフレンドリーで、リハーサルにもT-BOLAN好きがいっぱいやってきて、それはもうみんな彼の仲間たちで、そういうイベントごとにかかわっている人が多くて。リハーサルを見て、その夜アソビ―チでのライブもみんな喜んでくれて。夜に打ち上げやって、そこでT-BOLANを森友嵐士を俺たちは盛り上げたいんだよって話になって。

めちゃくちゃうれしいじゃん。じゃあなんかどんな形になるかわかんないけど沖縄で作っていきましょうよって話がそこでスタートして。どんなことをやろうっていう話をしている中で沖縄をもっと見てくださいってなって。それで沖縄のいろんな場所に連れて行ってもらって、まあ観光しながら遊んでいて、その中にガンガラーの谷があったわけ。

話を聞いたときに鍾乳洞、でっかい洞窟、ガジュマルの森があってすごいんですよみたいな。ほかにもいくつか行ったんだけど、祈りをささげる場所もあったり。その中でガンガラーは入った瞬間うわ!ここでやりたい!って思って。何も考えずにここでできたらいいなあ、ここでやりたいなあって言ったら、やりましょう!みたいな。

普通仕事ってさ、キャパだったり音の問題だったり、いろんな外堀から埋めていって、じゃあできますじゃん?こっちのみんなは違うんだよ。俺がやりたいって言ったことに関して、やりましょう!!みたいな。やるためのサポーターがたくさんいてくれて。今回のガンガラーもただ俺がやりたかったからできたんじゃなくて、俺がやりたいって思った思いを沖縄のみんなが支えてくれて仲間を増やしてくれて、それでここまでたどりついて。やっと1つの始まりが生まれてほんとにみんなありがとうっていう。

ーそれでラジオが始まったんですか?

そうなんだよ。もっとみんなにも広げたいね。知ってもらうにはどうしたらいいんだろうって言ったら、「嵐士さんラジオやってもらったりできますか?」って。もちろん。毎回来るわけにはいかないから東京収録になるけど、それがプラスになるんだったらなんでもやるよっていう。

それから沖縄のレギュラー番組が始まって。番組だって支えてくれるスポンサーがいなきゃ簡単にはできないわけ。そういうのも全部仲間が広がっていって、俺らがやります!やります!って言っていくれてほんとハートフルだよね。すごい応援してくれてる。

ー沖縄はどうですか?
誰が来ても気持ちいいでしょこれ!(笑) 気持ちいいし楽しいよね。やっぱり人がそういう関係だからいつもハッピーだよ。
ー食べ物は?
俺フルーツアレルギーなんだけど、沖縄はフルーツがたくさんあって、もう関係なく食べちゃう。この環境だよ?何食べても美味しいし、BBQもおいしいし、シャンパンもおいしいし最高!(笑)
ーファンツアーをはじめた理由は?

時代の流れの中で俺も生きてて、いろんなことを感じながら、こうだなって物事を決めて、どちらかというと自分で決めたら崩さないタイプなんだけど、音楽を止めてた時間も長かったじゃん。再スタートしてみてレコーディングの方法も全然違ってたし、レコードの届け方も売上も変わって、音楽との渡し方も全然変わってきていて。

最初は俺もすごい戸惑ったし、どうやっていくんだって。前は作品を作って、作品を発表する場がライブでそれで終了だったじゃん。ファンクラブイベントっていうものもやっていたけど、それも内容が違うだけで、ステージの上にいて、少しキメキメじゃないだけでそんなに違わなかった。だけど今はSNSがあったり、実際に会えなくても距離がすごく近くなった。距離感が時代とともに変化していて、俺たちは作っているというか、360度の森友嵐士がいたらさ、その中の45度くらいをT-BOLANの森友嵐士として表現していこうよって。

自分の中の1部をT-BOLANのボーカリストとして出してたんだけど。でも今やってるFacebookだったりInstagramだったりにそれをずっと出していてもなんかそれも違うなっていう。なんでやってるのってなったときに、やっぱり綺麗な景色を見たときに自分の好きなやつに見せてやりたいって思うじゃん。おいしいもの食べたらこれあいつにも食わせてやりたいって思うじゃん。すべてがそこからだよね。ファンとの距離感っていうのも、俺がやってた90年代は遠かったよね。

それはその良さもあると思うんだよね、だけど年齢も半世紀じゃん、1つの俺が作り出した音楽でそれを好きだって言って集まってきたやつらがいて、この遠い距離感のまま、あと俺の人生が何年あるかわかんないけど、それでいいのかなって。もっと近くなれる人がいるんだったらその場面を作ってもいいんじゃないかなってふと思ったわけ。

全員じゃなくてもその距離感を求めてる人もいるだろうし、音楽だけでいいんだって人もいるだろうし、いろんな人がいると思うんだよ。その中で俺側が開けてあげないことには距離は縮まらないわけじゃん。そういう近い距離感で会って話がしたいとか、もっと近くでフィーリング感じてみたいとか、焼きそば作るところ見てみたいとか。

そんなの音楽と関係ないんだけど、それ俺じゃん。俺自身が、俺を好きだって俺の音楽を好きだって言ってくれてるやつらと、俺自身も本当は会ってみたいわけ。ステージの上からうぇーいってやってるだけじゃなくて、ほんとに触れてうれしいって顔を見てみたかったり、何回か復活したあとにライブ終了後に握手をするって場面を作ったりしたのね。

たしかに最初のころはすごい人数だったから全部やるのは大変だったけど。時間もかかるしスタッフも大変だったけど、でも1番はみんなのすっごくうれしそうな顔にすごいエネルギーをもらえたの。めちゃくちゃうれしかった。それってさ、ライブやって、また会おうぜって言ったあとに見れない顔なんだよ。みんなが会場を出ていくところを会場の出口のスタッフが見れる顔じゃん。

ふと思ったのがT-BOLANの後期の頃よくライブ終わったあとにビデオをもって会場を帰っていくみんなにインタビューしてたの。みんなの顔を見せてくれと頼んでた。俺たちがライブやったあとにみんながどんな顔をしているか見たかった。実は会いたかったの(笑)。それが逆にできる時代になった。見渡したときにそういうことをみんなやり始めたじゃん。後追いになっちゃうけどこれやっていい時代なんだなって思ったときに俺もその距離感でみんなと会ってみたいなあって。

最初はどう来ていいかわかんないし、たぶんピリピリな感じで。でも俺おばちゃんとかとすぐ仲良くなるタイプだから。それは小さいころから自分の育った家庭環境が大きいね。

ー人と触れ合うの好きですか?
好きだよ。一人旅が好きでどこかに行く、だれかに会う、何かが始まる。それが好き。
ーファンから墨象を展示してほしいと要望がありましたが?
あの作品もってくるの大変なんだよ(笑)でかいし(笑)毎年やってるファンクラブイベントに去年は何点か持っていったよ。
ー一緒に観光してほしいそうです!
観光ですか!俺がガイドですか?(笑)。俺ガイドやったら俺のガイドになっちゃうよ!なにより俺がうれしいのはみんなのうれしそうな顔だよね。それに勝るものはない!
ーオープンカーで擬似デートの写真撮ったりして…
みんなと写真撮ったあとにドライブしていたんだけど、助手席目線で写真をとったらそこに座ってる写真になるわけじゃん。擬似的だけど一緒にドライブした気分になれるじゃん。イメージで。こんな感じなんだって。
ーファンツアーを通して新しい発見はありましたか?
親が音楽流してそれを聞くじゃん。親もうれしいんだって、自分の好きなアーティストを子供が好きになってくれたら。ファンレターとかもらうし、ラジオでメッセージとかもらったりすると、「すごくうれしいの!うちの子供がT-BOLAN、森友嵐士を好きになって」って。俺と同じ嵐士くんって子もいる(笑)
ー次は1年後ですか?

ガンガラーの谷でまた同じようにやるのに一番いい季節を聞いたら12月なんだって。台風ないじゃん。雨もないし寒くないんだって。クリスマスも近くなるし。俺ほんとは今回キャンドルを仕込みたかったんだけど、この気温でキャンドルを仕込むと熱がこもっちゃうんだって。そうなると湿度と温度でお客さんも1時間2時間の時間を耐えられる環境にはならないんだって。

去年の秋のときほんとはキャンドル用意してたんだけどね。今回は「いつ」ってことよりもガンガラーでやりたかった。ガンガラーの方にもよかったと言ってもらえて。今度はガンガラーのベストなシーズンに、もっとベストな俺が思い描く環境を作ることができたらなと。沖縄にこだわっているわけじゃなくて、これが沖縄ではじまって、沖縄に縁があるからその縁を大事にしようと。また何か他のところで始まれば始めるし。

ー今後のファンツアーのついて
このインタビューをMOVIEで見る【会員限定】

青森の白神山地とかでやりたい。日本の日本人って日本の良さあんまり知らなくない?勤勉じゃん。すごい仕事に一生懸命だからさ、自分のエリアからあまりでないじゃん。で、すぐ海外いくじゃん。だけど日本って綺麗なところいっぱいあるんだよね。俺渓流釣りで人が入っていかないようなところばっか行ってるからさ。

そういうところにうわっていうところがいっぱいある。それのさらにすごいバージョンが全国にはたくさんあるんだろうなって思うし。そういうところに俺も行きたいなって思うし、行ってここすげえなって思って、すげえなって思うと教えてやりたくなるわけだよ。そうするとそこでやろうよって。それが1番の動機だよね。

ー小樽は?
小樽もいいよね。俺ウニが好きで、ウニが最高にうまいのとランプが好きなんだよ。ランプだけのカフェがあって、そこにうまい具合にグランドピアノが1台あったんだよね。すぐここ借りれますか?って聞いて、相手もすぐ俺のことわかって、「いつでも!」みたいな。いいシーズンにいけたらいいね。
ー今後の活動について

T-BOLANも7月でインディーズデビュー30周年を迎え、そんな経つんだと思ったけど、振り返ったらそうなんだよね。インディーズ時代最後にやったライブが渋谷のエッグマンだったんだよ。今工事中の渋谷公会堂が目の前にあって、ライブ終わって、アマチュアの頃はライブ後に外でファンの人とコミュニケーション取っていたりしたんだけど、そのとき活動休止の前だったんだけど、みんなに「覚えててよ。あそこに行くの約束するから。いつになるかわかんないけどあの建物に帰ってくるから、そのときは是非会いに来てくれ」って約束して、それで活動休止に入るわけ。変な話だけどね。

でも音楽をやめたわけではなくて、でもこのままやっていくって感じでもなくて。上手じゃないんだよね、生き方が。気持ちが乗らないとやりたくないんだよね。それは環境じゃなくて自分のモチベーションが整わないとスタートできなくて。そのためにはちょっと時間が必要だった。いろいろ試したかったし。一旦T-BOLANを止めたけど、かならずそこに行くからと。

その場所に今回、7月22日。そして7月10日がデビューの日だからその日に中野サンプラザ。去年アコースティックライブをやったけど本格的には今年の7月10日そこからT-BOLANとしては再始動という感じかな。去年の夏の終わりのツアーは、プレって感じ。随分ブランクがあったから、アコースティックでお互いを感じて。やっぱりアコースティックのほうが感じやすいじゃん。ならし運転みたいな感じでさ。7月10日はフルエンジンでいくから。今年からT-BOLANもフルエンジンで復活!みたいな。

もちろんツアーも全都道府県回りたいし。随分時間が空いてるから再会って感じじゃん。スタートしたときに再会っていうテーマをつけたけど、今もその気持ちだよね。だって会えてないやつらばっかりだもん。そこから時間も随分経って年齢も随分変わったじゃん。時間の使い方も自由度もみんな変わってるし、昔だったら東名阪やったらみんなが集まってきてくれてたけど、やっぱりなかなか動けない事情もあったりするじゃん。だったら俺たちが行けばいいじゃんって気持ちもすごくあるし、気持ちだけでできることでもないけれど、でもできる限りいろんな場所で90年代にみんなが好きだったT-BOLANを再現したいなと思うよね。

ー今後はソロとT-BOLANが平行していく?

そうだね。ほんとは区分けしたほうがいいのかもしれないけど、そんな器用でもないし、さっきも話したけどStonehengeは俺を育ててくれる場所みたいな感じでいるから止めたくないし、挑戦していかないとつまらないんだよね(笑)。いつもそういうのがあるから、クリエイティブに作品を作るのはそのうちやりたくなるだろう。作ろうと思って作れるものでもないし、そういうタイプじゃないんだよね。元々T-BOLANのときもそう。作ろうと思って作ったんじゃなくて、作りたかったから作ったんだよ。作りたいものがないのに、書と一緒で書きたくないもの書いてもろくなものにならないし、そのためには作りたくなる自分を作るのも大事で、じゃあ自分の限られた時間の中で誰と会ってどこに行って、どういう風に過ごすとか、そこを俺が自分でコントロールしていく。ものをつくることはコントロールできなよね。作りたくなったら作ってるもん。それは1番俺がわかっている。

だからT-BOLANとしても新曲を作っていくだろうし、ソロのほうもきっと作っていくだろうし、その違いはなんなんだといわれたとき、わかんない今は。だけどたぶんインスピレーションだろうね、このテーマはソロだな、このテーマはT-BOLANだなっていう自分の中で歩いていくうちに、見えてくることがあると思う。今日話したT-BOLANとソロの活動違いだって、考えて作ったものじゃないもん。やっていくうちのこれは大事にしたいっていう自分の大事にしたいものをちゃんと詰めていったときに形が見えてきたっていうか。形が見えるのは1番最後だから。自分の心の声をちゃんと聞いてやって、その声がもっといっぱい出てくるから自分をいろんなところに連れ出す。ずっと部屋にいたってなんもみつからないよね。

ーファンの皆さんへ
このインタビューをMOVIEで見る【会員限定】

いつも応援ありがとうございます(笑)。同じような年代だから同じように感じてるとは思うけど、人生ってさ時間に限りがあるって若いころは感じてないじゃん?永遠に続くというかまだすごくあって、ろうそくの火が消える瞬間なんてイメージも湧かなかった。でも今はイメージできるんだよね。ライブでも今日きてくれたライブ、もう二度と会えないやつもいると思うの。だから1本1本のライブもすごく大事にしたいし、ほんと一期一会じゃん。若いころはそんなこと思わなかったもん。たった1回しかないことだらけなんだよね。ファンクラブの中でも、このツアーも、最近「いつかなんて思うことがあるなら絶対今でしょ」ってよく言うのよ。次ないんだよね、みんな次があると思っている。違うんだよ。次はないんだよね。だから自分がやりたいとか、行きたいとか、こうしてみたいって気持ちがあるならどんどんやるべきだよ。

ライブも俺が言うのも変だけど、1本1本全部違うんだよね、ほんとに。それで会いたいなと思ったらライブに来てくれればいいわけ。これって新曲を聞きに来るんじゃないんだよ。「会う」っていう風に思うようになっちゃったよね。これも自然だよね。今年お袋が亡くなって両親が亡くなったわけだ。そうすると自分の中にはずっといるけど、例えば携帯に田舎の天候とか悪いとかの通知がくるようになってるわけ。天気予報で台風とか見て、広島って書いてるとお袋にすぐ電話するわけじゃん。大丈夫か?って。亡くなったあともさ、通知がくると電話したくなるわけ。そうだもういなんだって、そう思っちゃうわけ。

俺と親の関係と同じように、俺とファンの関係も同じ気がしてるわけ。それはファンクラブに入ってる人たちだけじゃなくて、俺の音楽を通してつながった人全員なんだよ。これってもう関係ができてるわけじゃん。歌を好きになったのが森友嵐士だったT-BOLANだったっていうのが。俺はまだその人のことは知らないよ。でも彼らは知ってくれてるわけじゃん。でも俺もこの今世の中で出会ってるわけじゃん。その出会いってすごい奇跡でさ、すごい尊いじゃん。その人生が短いなと思うわけ。その短い時間の中にこんな世界の人がたくさんいる中で俺がスタジオの中でフラっと歌ったそんな1曲がさ、会ったことがないだれかと繋げてくれたパイプになったわけじゃん。そうやって生まれた命の中でつながったやつらとあと何回会えるのかなっていう。どうやったらつながれるのかなってほんと思う。それをライブでもいいし、ファンツアーでもいいし、音だけでもいいよ。君らが望むだけでいいと思う。もっと近くに来たいと思うんだったらおいでって。これでいいって言うんだったらそれでいいよ。自由だよ。どんな関わり方でも。だけど1個だけ思うのは、もっと!って思うならもっとおいで。そう思う。

それはここまでだよっていうのはあるけど、できる限り俺はできる。でも誰かにしかできないことはやっちゃだめじゃん。やっぱり平等に。同じようにできないこともあるけど。ライブハウスで席によって見えやすかったり見えにくかったり、いろんな差はあるじゃん。俺がどうしようもできないこともあるし、俺の気持ちの中では同じようにしてあげたいなと思ってる。同じように喜んでほしいし、同じようにいい顔で帰ってほしい。みんなが求めているだけの全部をもってかえってほしい。もっと近くに来たいと思う人はもっと近くにくればいいと思うし、そこでいいと思う人はそこで。満たされてほしい。俺との出会いの関係で。それが俺は一番うれしいかな。でもキャパが大きくなったらできることは幅が狭くなるし、ファンクラブツアーに来るなら今のうちだよ(笑)。

だって大きくなったらできなくなることだらけだもん。やっぱ限られた人数だから、対応できることもたくさんあるし、それは俺も楽しいし。でもそれは俺どうこうできないじゃん。来る人数が多くなってしまったら時間的にも物理的にも無理になってくる。だからそういう意味でいつも今しかないんだよ。今こうしたいって気持ちがあったら、俺のことにかかわらず、今しかないんだよ。それを大事にしてほしいし、たった1回しかない最後の人生を自分のために。誰かのために生きるのが自分のためっていうのもあるけど、我慢したり自分が壊れるまでなにかをするとか、壊れてもいいと思うならいいよ。俺もそういうときもあったし。だけど、自分が思うがままに、せっかくもらった命だから。

上野見てても思うじゃん。生き返ってきたとき「お前なにやりたい、2つ目の命で」って聞いたら、やっぱ「ライブ」って言ったもんね。そしたら周りも動くじゃん。「うー」とかしか言えないのにさ、ライブがやりたいっていうさ、できなくてもできるって嘘つけよって。だけど人ってそこでしか生きられないじゃん。できるかできないかじゃなくて、やろうとするかやろうとしないのかっていう。やりたいかどうかなんだよ。その今やりたいと思うことをやるべき。できないかもしれないよ、行きたいと思ってもいけないかもしれない。でも行きたいって思うなら行きたいってアプローチするべきだし。それでやって無理だったら、じゃあ今回仕方ないね我慢しようかって。でもそれを胸の中で納めてなにも行動しないのはもったいない。そう思う。